My History  平井竜一の歩み


    長い人生には、その後に大きな影響を与える重要な出来事がいくつか起こります。その時、私が何を思い、今にどうつながっているのか、人生の節目となったストーリー。そんな経験を通じて、夢をつかむために私が大切にしている10ヶ条があります。何かの参考になれば幸いです。



なぜ、市長を志したのか?

学生時代に関わった池子問題が、政治を志した原点

 大学3年の時、米軍住宅受け入れの是非を争点に富野市長が辞職し再選挙となりました。自分たちも何かやらねばと同世代の若者100人を集めて候補者2名との交流パーティを企画。それが逗子市長をめざすきっかけとなりました。
池子米軍住宅の反対集会で演説する富野市長
池子米軍住宅の反対集会で演説する富野市長

大学で学んだ社会システム論が全ての政策の基礎に

 日本は高度経済成長期が終わり、世界では資源問題や南北問題などが混迷を深めていた1980年代。ポスト近代のパラダイムとは何か、社会システム論などの本を読み漁りました。今、大学で学んだことが政策を考える基礎となっています。
母校の早稲田大学大隈講堂
母校の早稲田大学大隈講堂

激務に耐える心と体の源は?

陸上競技に没頭して心身を鍛えた青春時代

 中学から高校まで陸上競技に明け暮れました。夏合宿では400mダッシュを繰り返し、冬は駅伝の長距離走。苦しい練習に耐えたことで、市長の激務にあってどんな苦境にも屈しない心と体が備わりました。今も市内駅伝に出場しています。

高校時代の陸上競技大会で800mに出場
高校時代の陸上競技大会で800mに出場

登山やインド放浪でありのままを受け入れる自然体に

 大学時代に所属した探検部では、登山やロッククライミング、川下りや洞窟探索をし、夏休みにはインドや中国を一人で放浪しました。自然の雄大さや厳しさ、人間の小ささを知り、ありのままを受け入れ、捉われない心が備わりました。

早稲田大学探検部の冬山登山合宿にて
早稲田大学探検部の冬山登山合宿にて

なぜ、民間に就職したのか?

企業経営の厳しさを学んだサラリーマン時代

 商業施設などの企画開発を手掛けるベンチャー企業に就職し、社長秘書を8年半務めました。民間からまちづくりに関わりつつ、経営を学べると考えたからです。トップが組織を動かす神髄を見た経験は、市長の仕事に活きています。

大学卒業後、入社した会社で社長と握手
大学卒業後、入社した会社で社長と握手

阪神淡路大震災に被災し、地域防災力の重要性を実感

 1995年1月17日、兵庫県西宮市のマンションで阪神淡路大震災に遭遇しました。寝ていた横に家具が倒れてあわや下敷きに。被災生活で一番苦労したのは水の確保でした。日頃の備えと地域のつながりの大切さを痛感しました。

大震災により通勤で使っていた高速道路が崩壊
大震災により通勤で使っていた高速道路が崩壊

手探りの初選挙でトップ当選

久木中学時代、生徒会長選挙に落選した苦い経験

 実は、久木中学2年の時に生徒会長選挙に臨みましたが落選。大きな挫折を味わうとともに、人の心に訴えて共感を得ることの難しさを身に染みて感じました。今思えば、この時の苦い経験が、政治家としての大きな糧となっています。

久木中学で体育祭優勝したとき
久木中学で体育祭優勝したとき

毎朝駅頭で政策ビラを配り若さと情熱で選挙へ挑む

 1997年9月、半年後の市議選に出馬を決意し、脱サラ。100万円を資金に手探りで活動を始めました。選挙2ヵ月前から毎朝駅頭で『地球市民』と題した市政レポートを配り続けトップ当選!議会では近藤大輔(現県議)と会派を組みました。

市議会議員選挙で駅前にて演説
市議会議員選挙で駅前にて演説

市長選出馬は人生の大勝負

周囲の反対を押し切って、市長選立候補を決断

 米軍住宅追加建設反対の裁判を抱える難しい市長選。支援者からは40才ではまだ早いと言われましたが「今やらねば後悔する!」と決意。開票の夜、「勝つか?負けるか?」風呂で身を清めて待ちました。あの時の決断は間違ってなかった。

市長選挙で選挙カーに乗って演説する
市長選挙で選挙カーに乗って演説する

池子裁判で最高裁上告予算否決。議場で頭が真っ白に

 市長就任2カ月後、池子裁判は高裁で敗訴。最高裁上告予算が市長として最初の議案となりました。議会は一票差で否決。突きつけられた厳しい現実に足が震え頭が真っ白に。でも、ここからやるしかないと決意したのを鮮明に覚えています。

米軍住宅追加建設の高裁判決後の記者会見
米軍住宅追加建設の高裁判決後の記者会見

何度となく訪れた試練

突然の聖ヨゼフ病院撤退で窮地に立たされる

 前市長から引き継いだ聖ヨゼフ病院計画は225床の開設許可を得たものの様々な異論が出て説明会では毎回厳しいやり取りに。そのため聖ヨゼフ病院は2009年に突如撤退を表明し、3度目の誘致も失敗。総合病院の実現は絶望的になりました。

幻に終わった聖ヨゼフ病院のイメージパース
幻に終わった聖ヨゼフ病院のイメージパース

池子40ha共同使用による公園実現へ、民意を問う

 池子裁判の最高裁上告断念後、交渉は大きく進展。横浜側追加建設へ言及しないことを表明し、逗子側に住宅を建てないことを国に確約させました。2期目の選挙で池子の森自然公園実現の現実路線を民意に問い、再選を果たしました。
池子の森40haの共同使用協定書にサイン
池子の森40haの共同使用協定書にサイン

目的達成に突き進む強い意志

池子反対派の元議員という異例の副市長人事を強行

 池子問題の国との交渉切り札として、私は副市長に池子反対派元市議の小田鈴子氏を一部議員の反対を押し切って強行提案しました。小田副市長は池子問題や被災地支援などに尽力され、任期最終日に公園の開園を見届けて退任しました。

池子の森自然公園開園記念式典テープカット
池子の森自然公園開園記念式典テープカット

ファミリービーチ復活をかけ日本一厳しい規制を決断

 逗子海岸の治安が最悪になった2013年夏。日本一厳しい条例の制定を決意。砂浜での飲酒禁止は最後まで悩みましたが、徹底しなければファミリービーチ復活はないと腹を括りました。メディアは批判的でしたが、決断は功を奏しました。

海水浴場のマナー啓発チラシ
海水浴場のマナー啓発チラシ

くじけず  あせらず あきらめず

今度こそは!病院再公募へ4度目の誘致に踏み出す

 2016年12月に県が175床募集することになり病院誘致再開を即決。「急な公募に応募病院があるか?」わずかな可能性に賭け、運よく2法人の中から葵会に決まりました。あせらず、あきらめずに挑戦し続けることの大切さを再認識しました。

沼間3丁目の総合病院予定地
沼間3丁目の総合病院予定地

まさかの財政悪化。財政構造改革に大ナタを振るう

 2017年6月、前年度の決算が予想以上に悪く、繰越金が6億円も足りない事態に。緊急財政対策本部を立ち上げ、人件費カットやあらゆる事業の見直しを行いました。建て直す目処は立ちましたが、リスク管理の重要性を痛感させられました。
市長室で職員と打合せする日々
市長室で職員と打合せする日々